あやつり人形
以前より、自我と自己というふたつの人格が人間を形成しているのではないかとお話していますが、前提として自己というのは、完成された非の打ち所のない存在となにげなく解釈していました。
でも、よくよく考えてみると本来の自分が、聖人君子だとは限らないわけで、怠惰でいつも寝てばっかりで鼻くそをほじくりながら暮らすことが、好きなのかも知れないなと可能性もあるのではと。
僕は、きっちりと計画立てて物事を確実にこなすということが、出来ないということは、自我も自己も認めている公然の事実でありますし、人と一緒のことをするのも苦手です。
この300字小説がいつまで続くのかはわかりませんが、もしこれが他人から義務として続けろとか言われていたら、もっと早くに終わっていたような気がします。
自分の意志だからこそ、なんとか続いているのです。
あやつり人形のようなもので、あやつる人が自己であり、人形が自我だと思っています。
もともと見えない糸で操られているのだから、別の人形があまり近づきすぎると糸がからまってしまう危険性があります。
結婚生活というのは、人間関係においてもっとも人形同士が近づく場となるわけで、人によれば重ね合わさるぐらいに近づくことが、結婚したものの義務だなどと勘違いしているのではないかと思うのです。
糸がからまると身動きがとれなくなります。
身動きがとれなくなるほどの絡み方でなくても、1本だけが絡んでも思うような動きが出来ません。
日々の暮らしの中で、息苦しさを感じていることがあれば、誰かが糸をひっぱっていることや、自分自身でもつれさせているかもしれないと考えてみるといいです。
息苦しさを解消するには、とりあえず落ち着いて絡んだ糸をほぐしていけばいいと思います。
僕の場合は、操っている人自体が怠惰なために、苦労しています。
その苦労を苦労だと思わなければ済む話なのですが・・・。
まだまだ自己をそのまま受け入れるという境地には程遠いかも知れません。