2013-08-06 心理・カウンセリング

偏見

マーケティングを勉強しているとたびたび出てくる話があります。

優勝したプロゴルファーが、病気の少女を持つ母親に賞金を騙し取られたのですが、後日、彼女は、結婚もしていないし子供もいないと教えられたところ、病気の少女がいないとわかってよかったと喜んだそうです。

偏見というのは、かたよった見方になるわけですが、この話は究極の偏見なのではないかと思います。なにかの問題が起きたときにどうしても悲観的に考えてしまいます。たぶんそれは防衛本能という人間にとって、大切な能力も関係しているのだと思います。

ただ、それ以上にそれまでの教育やしつけ、環境などによって刷り込まれてきて構築された考え方の習慣によるのではないかと思います。この習慣をネガティブからポジティブに変える努力をすると楽しい時間が増えることになります。

お笑いのセンスの無い人に面白いことを言えといってもすぐに出来ないことと同じで、1日にひとつでもいいから常に面白いことを考える癖を持つようにすれば、そのうち自然に面白いことが飛び出すはずです。

どんなものにも陰と陽、表と裏というふうに互いに反するものが1対となってひとつのものを形成しています。

出来事にしても捉え方によって、どうとでも観ることが出来るのです。子供が試験で30点しかとれなかった場合は、どう考えるでしょう。まだ70点も成長する余裕があると喜べばいいと思います。

交通事故で怪我をしたなら、死なずに済んでよかったと思えばいいでしょうし、空き巣に入られたら、家にいて傷つけられなくてラッキーだったと考えればいいと思います。

過去にあれをしていればとか、あれがなかったらとか考えて、現状の自分よりももっといい状態になっていたのにと後悔する人をたまに見かけますが、常に今が最高の状態なんだと思う癖を持てば、落ち込んで悩む時間の浪費を抑えることが出来ます。

あれをしていればとか、あれがなかったらとかも、もしそうしていたら今よりも悪い結果になっていたかも知れないのにわざわざ不満を持とうとするのは、とても悪い習慣だと思います。

「偏見」と聞くと悪いイメージがつきまといますが、僕は思いっきり自分寄りの見方をします。全ては自分のために起きている出来事であって、その中で自分がおいしいなと思うものだけを拾い集めれば楽しいはずです。

目の前にお菓子の家があっても、喜ぶことよりも先に衛生上の問題を気にしてしまう人にはなりたくありませんからね。

2012〜2013年のYahoo!ブログ掲載記事。『集客の書』収録版から復元。
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