スューサイド:自殺について
以前、本の紹介カテゴリでも、記事にした「救急精神病棟野村進著」という本の中にスューサイドという言葉がありました。
スューサイドとは英語で自殺を表します。
精神病で入院した患者の中には、自殺に対して特に注意が必要な場合は、スューサイドに気をつけるようにと隠語として扱っているのかもしれません。
精神病院内での自殺は、とても多いそうですが、この本の舞台となる千葉県精神科医療センターでは、徹底した防止策とマンパワーによって、1985年の開設から18年間で3人しか出していないそうです。
昭和大学付属烏山病院では、1957年からの17年間で総入院患者数5311人中、自殺者は24人だったそうで、それと比較するとその少なさが理解できると思います。
僕が入院していた10ヶ月の間でも、退院した形跡もないのにいきなりいなくなった人が何人かいます。
他の病棟に移動したということもあるのでしょうけれど、亡くなったと教えられた人もいました。
つい2・3日前まで普通に食事をしていた人が、顔つきがガラッと変わってしまって、おむつをはくようになり、すぐに亡くなっていました。
彼の場合は、自殺ではなくて、病死になるのかも知れません。
この本の中で、自殺の章があるのですが、そこには担当する医者や看護師などがいくら頑張っても、自殺を防げない人もいるということが書かれています。
生きるのか死ぬのかの間を彷徨っている人ならば、看護することで自殺を思いとどまらせることも可能であるのかもしれませんが、死ぬことを真剣に考えている人に対しては、なす術(すべ)がないということでした。
自殺することは良くないことだという暗黙の了解があって、周りの人間は、防止するように努力をします。
自殺を推奨などすれば、すごいバッシングに合うことでしょう。
僕は、自殺に対して推奨も反対もしません。
その人の世界のエピローグは、その人が決めればいいと思うからです。
もし自殺願望のある人が、カウンセリングに来たらどうするでしょう。
まずカウンセリングに来ているという段階で、その人は、死にたくないという気持ちがあるはずです。
死にたいという気持ちと死にたくないという気持ちが、起こる理由を考えてもらうはずです。
カウンセリングを受けるような自殺志望者には、欲があると思います。
現状認識が出来ずに、例えば自分が空を飛べるはずだと思って、高層ビルから飛び降りるというようなこと以外であれば、大抵の場合、苦しい現状から逃避したいという欲が自殺を選択するはずです。
人間が行動する要因は、以下の2つに絞られるそうです。
■快楽を求めるため■苦痛から逃れるため快楽を追求するよりも苦痛から逃避するほうが、行動を促す要因としては大きいといいます。
自殺は、その中でも究極の選択に当たるのかもしれません。
歯が痛くなれば歯医者に行けばいいのですが、自殺したいと思うほどの苦痛を和らげるための専門的な医療施設は、存在しません。
自殺者にとっては、死の向こう側にそれが存在すると思っているのかも知れません。
僕は精神病院を退院してから、ずっと死にたいと考えていましたが、どうしてまだ生きているのかと振り返ってみると、結局、その当時の僕はなにも築きあげてきたモノがなかったからだと思います。
トランプを重ねて、お城を作っているようなもので、最初の1段・2段ぐらいの段階で手元が狂って積み上げたものが崩れても、やり直そうと思えるのですが、5段・6段と積み上げていき、あと少しで完成だと思った瞬間に全てが崩れてしまったら・・。
また最初からやり直そうと思えるほど気力は残っていないのかも知れません。
僕の場合は、まだ1段も積み上げていなかったのが、幸いしたのでしょう。
社会に出る前の学生たちが、自殺をする要因は、たぶんこれとは違っていて、どこにも逃げ場がないと判断して、最後の逃げ場が、死の世界だったのだと思います。
自殺の要因を分析して防止策を考えようと思っているわけではないのですが、死ぬことを選択できるのであれば、もっといろんなことも選択できるということに気がついて欲しいと思います。
その中で一番が「死」であればそれを選択すればいいと思いますし、後回しにしてもいいようなモノが見つかればそれから順番にやっていけばいいと思います。
今の時代は昔のように民放とNHKだけのテレビしか選べないわけではなく、有線放送などで多くのチャンネルからも選ぶことが出来ますし、ネットを介して様々なコンテンツを楽しむことが出来るのです。
もし自殺を防止しようと思っている人がこれを見ているのであれば、まずは自殺する自由を与えることから始めてはいかがでしょうか。
この日本では、毎日100人近くの人が、自らの命を絶っていますが、彼らのほとんどが自由になりたいという願望が強いような気がします。
いつでも死ねるんだと心にゆとりが出来ると、視界も広がるはずです。
興味の対象を自分以外のモノに移すことが、自殺以外の選択肢を増やすことにつながります。
自殺の是非を問うのではなく、生きていくために必要な選択肢のひとつとすることが出来れば、もっと楽しい人生が送れるような気がします。
僕は、今でもたまに自殺したらどうなるのかなって思うことがありますから・・・。