色眼鏡
色眼鏡の意味は、サングラスもありますが、今回は偏見とか先入観に捉われたものの見方をあらわすことについて記事を書きます。
人は生まれてきたときはなにもつけずに無防備のままなのですが、成長するにつれて親や周りの環境などで、様々な鎧を着せられます。
ドンキホーテのように自分で仮想の敵を作って重たい鎧をつけてがんじがらめになっていくのです。
それとは別に人を見るときも勝手に美化したり、見下したりと様々な色眼鏡を用意して相手を評価します。
ほとんどの人が鎧の下の本当の存在に気づかないまま、あるいは気づく必要がないと思っているのかはわかりませんが、表面上の付き合いをしながら生活を送ります。
そのことに納得していればいいのですが、たまに自分のことは棚にあげて、相手が鎧をつけていることを批判したりして、愚痴をこぼしたりします。
鎧に傷を付け合っていてもなにも変わらないのに、それに対して悩んだり苦しんだり怒ったりしながら大切な時間を費やしていいくのです。
また相手は有名だとか、権威があるとか、実力があるとかという情報が事前に入っていたりすると、自分を卑下したり、相手を崇めたりしてなんとなく自分のポジションを相手を基準に決めようとするのです。
全て相手があっての自分ということになります。
当然、相手は絶対的な存在ではないので、流動的になり、そのせいで自分の位置が定まらない状況に陥ります。
あるところでは人を見下し、違う場所では媚びへつらうといったことになってしまって、一度に複数の役を演じる役者のように忙しい日々を送らなければいけなくなります。
基準を他人ではなく、自分にすればもっと楽に生きられるのに、ほとんどの人が周りの環境に振り回されながら生活をしています。
周りの環境に振り回されるというのは、会社勤めだからとか長男の嫁だからとかいうことではなく、どんな環境であっても自分を基準にしていれば、振り回されることはないはずなのに、相手からいいように見られたいといった自分自身のエゴのせいで、ふらふらになってしまう状況を指します。
生まれたての赤ちゃんは、目の前にいる人の肩書きや財布の重さなどには関心はありません。
ただ自分が感じることだけを素直に受け取っているだけです。
僕は、赤ちゃんほどの透明な眼鏡を持っていませんが、多くのひとよりも色が入っていない眼鏡を使っていると思います。
眼鏡の数もひとつだけで、相手によってかけかえたりはしていません。
あなたの眼鏡は、どんな色ですか。
本当に自分に必要な眼鏡は、ひとつか、もしくは眼鏡自体必要ではないかもしれません。
鎧を脱ぎ捨てることと同時に眼鏡をはずしてみてはいかがでしょうか。
世の中がこんなに色鮮やかだったんだと認識できるはずですから。