2013-05-02 日常・雑記

大人が泣くのは・・・

大人になると泣きたくても泣けないときがあります。

子供のようにこけて膝を擦りむいて泣いている大人を見たことがありません。

おもちゃが買えないからといってフロアに大の字になって泣いている大人もあまり見ません。

そういったことをしなくなる分岐点は何歳からなのかはわかりませんが、自分の子供を見ていると小学校に入るとそういった行動をとらなくなっているような気がします。

たぶんそういった行動をとるのが良くないことだと教えられたからというよりも、他がやっている時の周りの友達らの反応などを見ながら自分の中で優先順位が出来上がってくるのかもしれません。

痛みに我慢できずに泣くこととそれに対して友人達から馬鹿にされることのどちらがその先の学校生活を送る上の問題として重要になるのかを自然に刷り込まれていくのだと思います。

大人になってからは痛みや欲しいと思うものが手に入らなくて泣くことがなくなったとしても別の要因で泣くことはたくさんあります。

感動したとき、くやしいとき、愛するモノと別れたとき、うれしいとき、その他自分の気持ちが抑えられなくなったときにも涙は出てきます。

僕はいつも楽しく過ごしてくださいと皆さんに言ってますが、感情を押し殺して無理に笑顔になる必要はないと思ってます。

泣きたいときには泣けばいいですし、怒りたいときには怒るべきだと思います。そうすることで気持ちも楽になるでしょうし、問題が解決したときの安堵感も大きいと思います。

家で嫌なことがあって眠れないときにメールをいただくこともありますし、駆け込み寺のように予約をいただくこともあります。

眠れないとか食べれないといったときでもメールを打っているときに落ち着いてくるとか一緒にいる時は自然に食欲が湧いてくると言ってくださることもあります。

それはたぶん僕の力ではなく彼女達の中で睡眠欲や食欲をさまたげているなにかを一瞬忘れているからだと思います。僕はとくになにをするというわけでもなくてただ話を聞いていることが多いのですが、自然と普段の体調に戻っていくようです。

もちろん僕の目の前で泣くというかたも少なくありません。

利用される方の平均年齢は40代半ばですので、職場でも責任のある地位にいたり家でも子供達の前では立派なお母さんを演じなければいけないという気持ちをお持ちのかたがほとんどです。

普段は誰にも見られないところでしか涙をみせることが出来ません。

小学校でひざを擦りむいて泣くことのデメリットを経験則として学べるような場所は大人になってからはありません。

泣くことが恥ずかしいことなのか大切なことなのか誰もわからないままただ我慢をしているだけかもしれません。

いろんなことが原因で泣くかもしれませんが、どんなことが原因でも泣きたいという気持ちがあれば素直にその気持ちにしたがえばいいと思います。

ただ、重く沈みこむような泣き方ではなくむしろ泣くことを楽しむぐらいになって欲しいと思ってます。

この記事を書いている途中に自分の子供が泣いているときは、わざと笑わせるようなことをしていたことを思い出しました。結構つまらないことでもすぐに涙をいっぱい流しながら笑いだしていた顔が浮かんできました。

喜怒哀楽という感情はひとつの木の枝が東西南北に分かれているようなもので、それほどたいした違いは無いのかも知れません。

生きていくための根っこの部分だけはしっかりと太く広げていくことが大切なような気がします。

2012〜2013年のYahoo!ブログ掲載記事。『集客の書』収録版から復元。
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