自分のための人生ウェイン・W・ダイアー著
母親:ドニー、地下から椅子を持ってきてちょうだい。もうすぐごはんだから。
子供:わかった、すぐやるよ。でも今野球を見てるから、この回が終わったらやるよ。
母親:それならいいわ、お母さんがやるから。腰が痛いんだけどね。お前はそこで楽しんでいなさい。
母親からこんなことを言われると子供は自責の念が起きる。
僕も子供に対して自責の念を起こさせるような言い方を何度もしてきたような気がする。
自分のために生きるためには、自責の念などは必要ない。むしろ邪魔といっていいだろう。
この本では、上記のやり取りで子供の発言として次のようなものをあげている。
「いいよ、お母さん。ほんの二、三分が待てなくて、たかが椅子のために腰を痛めてもいいって言うんなら。ぼくには、どうしようもないよ」
こんな風に切り替えされたら親子関係が崩れてしまうかもしれないが、親が子を操るために自責の念を起こさせるためになにげなく使っていることが、独り立ちしてからも自分自身を金縛り状態にしてしまう要因となっている。
感情を他人に支配されることがなくなれば、人に操られることもなくなり、自分のための人生を楽しむことが出来る。
この本では他にも、当たり前だと思っていることが、いかに自分を窮屈にしているのかをこれでもかというぐらい具体例を挙げながら説明してくれている。
なにかを手に入れるためには苦しいことを乗り越えなければならないといったこともそうだ。
限られた時間をわざわざ苦しいことに費やす必要はない。
発明王であってもトップアスリートでも苦しいと思ったことはないと思うし、あったとしても最初のほんの少しだけだったはずだ。
他人からみれば努力の結晶と思われるが、その一瞬一瞬が楽しかったに違いない。
人間の一生でもっとも無益な感情は二つある。すんでしまったことに対する自責の念と、これから行うことへの不安である。
自責とは過去の行為の結果、金縛りされた状態で現在という時を使うことであり、不安とは未来に起こるであろう何か―たいていは今の自分ではコントロールできない何かのために、今の自分を金縛りにしてしまう罠である。
がんじがらめの状況にあって今を楽しめといっても無理だ。
まずは過去と未来を考えることをやめて、今一番楽しいことに集中することが人生を有意義に過ごす秘訣だと述べられていた。
このブログも昨年12月から毎日投稿しようとはしゃいでいたが、過去のはしゃいだ気持ちのために今の自分が無理やり投稿している状況になっている。
そろそろ潮時かもしれない。
人はこれを三日坊主とか根気がないだとか意志薄弱だとかいうかもしれないが、人の意見に動揺するなというのもこの本の趣旨となっている。
自分を肯定し、自分を愛したくても愛せないという人にはピッタリの本だと思う。
自分を愛せない人は人を幸せにすることはできない。他人の視線ばかり気にしている政治家に支配されている国家が元気がないのは当たり前のことかもしれない。