負け惜しみ
以前「謙虚」というタイトルで記事を書いたのだが、今日はその続編となるかもしれない。
僕は昔からやれば出来る子だと思っていた。なんでも可能だと。
でもやらなかった。やる根気も出ないし、やり出して難しそうだとか大変だなと思ったら自然に回避していたのかもしれない。
他人から見ると口先だけの負け惜しみばかりいう奴になっていたと思う。
ただスポーツのトップ選手を見ても東大生を見てもすごいなという気持ちはまったく湧くことはなく、自分も同じだけやっていたらそうなるだとろうと思っている。(ここは今も基本が変わらないので、現在進行形にしている)謙虚な人は身の程をわきまえて、苦手なものは苦手ですと発表するのかもしれない。
自分にとって楽しいか楽しくないかで、楽しくないことをやりたくないから「苦手」という言葉を使っているのなら問題ないだろうが、たまたま勉強する時間がないとかそのときやる気が起きなかったからという理由でテストの点数が低かったからといって、自分が出来ないと思うのは間違っていると思う。
いや、間違っているという言い方は正確でない。
自分に能力がないと思ってしまうのは、とても窮屈な人生を歩いてしまうことに繋がると思う。
それはテストの点数だけでなく、普段の生活においても苦手な人や仕事に直面した時に自分にはどうすることも出来ないと判断してしまう可能性があるからだ。
直面した問題に対応するためには、「負け惜しみ」を言えるぐらいの気持ちがあったほうがいい。
この人と付き合っていくことも出来るが、敢えてさけている。
とかこの問題に対して真っ向から取り組んでもいいのだが、もっと大切なことを優先する。
など。
多くの人は困難に直面するとそれを解決しないといけないと思って悩んでしまう。
悩んで解決することは何もない。
困難だと思うことに直面した時に正面から取り組むのではなく、別の見方が出来ないかを模索するか、それと向き合うことが本当に大切なのかということを考えればいいと思う。
悲しいという気持ちを嬉しいに変えることは出来ないが、悲しいという気持ちがおきそうになった時にその問題を違う角度からみることで、悲しさは半減するか、もしくはうれしく感じるかもしれない。
負けるが勝ちという言葉もあるが、あなたが無限の可能性をもっているということを自覚すれば、負け惜しみを楽しめるようになるはずだ。
マンガのヒーローを見てもほとんど「負け惜しみ」から始まっているはずである。