「気」の意味島田明徳著
昨日、焼き肉屋に行った。いつも看板を見ていたのだが、お腹もまったくすいていないにも関わらずふらっと店の中へ。
午後7時ごろだというのに客はいない。夫婦で経営しているのか、奥さんらしき人がカウンターで請求書をまとめていた。ひとりだということを告げるとカウンター越しにいる主人の正面の席に案内された。
ホルモンという文字が目立つ看板に誘われて入ったのだが、メニューをみると安くてうまいホルモンの店というよりは高級な肉を適正価格で提供する店といった印象をもった。
ツラミ・てっちゃん・アカセンと生ビール2杯をいただいた。どれも申し分のないほどおいしくてツラミにいたっては、普通の店のロースよりも格段にうまい気がした。値段も手ごろで全部で2500円ほどだ。
しかしまた行きたいという気持ちが湧かなかった。
主人は30前後で若いが、肉を見る目や裁き方を熟知しているような印象で料理人というよりも研究者といったイメージを持つ。肉に対しての姿勢がその風貌からうかがえる。
味も値段も店主も申し分ないのだが、居心地が悪いのである。
店にいるのが自分ひとりということもあるのかもしれないが、客に「気」をつかっていないことが大きな原因だと思う。
うまい肉を提供することだけに集中しているからだ。
本の紹介のはずが、いきなり焼き肉屋の話から始めてしまったのだが、僕の施術も同じでテクニックをいくら上達させても依頼者との気の交流ができなければ満足してもらえないとようやくわかってきた。
そのために仙道や今回の本など目に見えないエネルギーについて勉強している。
食べ物でも音楽でも演劇でも映画でもなんでもそうだが、人がそれらに触れて満足した気分になるのは、五感(視覚・味覚・聴覚・触覚・嗅覚)からの情報以上に「気」が大きな要素をもたらしているのではないかという仮説を証明したいためだ。
「波長が合う」というのもお互いが発信しているエネルギーの周波数が合っているからだろう。
韓流スターやジャニーズなどを追っかけているおばさんたちを見ていると不思議に思ってしまうが、男らしいとか優しいとか若いとか綺麗だとかいう要素以上に彼女達と共鳴するなにかが発信されているはずだ。
この本には動物界の中で唯一人間が意識を持つことのできる最高レベルの存在だから自然の一部であるということを自覚して自然の法則にしたがうことが、よりよく生きるためには必要なことであると結論付けている。
著者の世界ではそれが真理であると思うのだが、僕の世界では少し違ってくる。人間を特別視することには否定的な考えだからだ。人間と他の動物とか人類と地球とか分けること自体に矛盾が生じてしまうと思っている。
「気」というものの存在があるとしたらそれは自分しかわからない。自分が納得のいく方法で感じることができればそれでいいだろうし、感じなくても構わない。
ただ、そういったものの存在が自分が生きていることに対してなんらかの影響を与えていると考えてみるのもいいと思う。
僕は人に対して強制することはしない。それは自分に対してもそうありたいと思っているからだ。それは著者のいう自然の法則と共通する考え方なのかもしれない。