僕の物語
昨日の続きです。
この世の中には未知の部分がたくさんあります。
たくさんあるというよりも分かっていることは、ほんの少しで未知の部分と既知の部分を対比すると地球とパチンコ玉ぐらいの差があるのかも知れません。
そもそも分かっているということなどなにも無いのかもしれないのですが・・。
あなたの人生の物語はあなたが主人公であってその物語の執筆者は本当のあなただという話を昨日書きました。
物語はハッピーエンドもあれば殺人者となって死刑になるようなものもあるでしょう。
今日は僕の物語を少し書こうと思います。
といってもこれまでのあらすじを書いてもしかたがないので、今僕がなにを思いながら生きているのかについて話します。
基本は執筆者と主人公ということですが、その次に大切にしていることはその瞬間を楽しくなるように過ごすことです。
基本的に楽しくないなと思うことはしないようにしています。
今は携帯電話を持っていますが、そのうち携帯電話も持たないようにしたいです。電話は僕の予定を無視して勝手になりますし、着信があればそれが気になったりしますので体によくないからです。極力鳴らないように仕事を制限している状況です。
性感マッサージの予約はすべてメールでしか受けないのもそのためです。
すぐに返信できないときもありますが、そういうことでいらいらする人とは最初から付き合いたくないと思ってるので、僕のタイミングと依頼者のかたのタイミングが合えばそれはその二つの世界に接点が出来たと思うようにしていて、無理に追いかけることはありません。
一度受けた方にこちらから再度利用してもらうための営業メールのようなこともしません。
常に待ちの状態であることを原則としています。
そういった考え方にいたったのは、営業をしていた際に必死で売り上げをあげようと動き回っていてもそれほど成果が出ず、動いているということが仕事をしているということと錯覚していた時期を長く経験したからです。
必死で働いていると思っていても成果にならないことほど楽しくないことはないので、動くことを止めることにしました。正確にいうと動きを変えたという方がいいのかも知れません。
動物のいないサバンナを走り回ったり、魚のいない海に釣り針を落とすことをやめて、農業に切り替えました。
その農業とはインターネットのことです。
昔からインターネットをしていてホームページやブログなどはあったのですが、どれも売り上げに貢献するようなものではありませんでした。ちゃんと収穫ができるようにする知識を持っていなかったためです。
僕が影響された人の中に二宮金次郎がいます。彼は捨てられた苗を荒地の水たまりに植えて収穫が出来たことに喜びを覚えて、貧しい百姓から最後は農業で藩の財政を立て直すぐらいの人となりました。
農業の場合は天災などで一瞬のうちにそれまでの苦労が無になる可能性があります。インターネットの場合は、ルールを守って適正な使い方をしていればいきなり削除されるということはありません。
僕は2006年からブログを初めて、これまで作ったブログは10個以上あると思いますが、どれも消えていません。農業の場合はちゃんと世話をしなければまた土壌からやり直さなければいけないかもしれませんが、ブログは何年ほったらかしにしていてもまたそこからスタートできます。
ネット上には土地は無限にあって、それを無料か格安で手に入れることができます。そこに自分の好きな作物の種を植えるだけでいいのです。一度植えたものはほぼ半永久的に存在します。
ひとつでも農作物を収穫することが出来るようになればあとは同じことを繰り返すだけで必ず同じ成果を得ることが出来ます。余裕が出来ればそれを改良していき、さらに品質や効率のいいものに変えることが可能となります。
ほっておいても毎日収穫があるのです。
毎日が楽しくてしかたなくなります。
あともうひとつ楽しいことをする理由としては、楽しい人が集まってくるということです。
一人の時間もいいですが、人と話をしたりお酒を飲んだりすることも好きなのでどうせなら楽しく笑いながらするほうがいいということです。
電車に乗るといろんなグループを見かけます。体育会系、おたく系、おばさん系、サラリーマン系、小悪魔系などなどいろんなタイプがありますが、顔や体型などの外観は違ってもそれらの人たちは間違いなく同じエネルギーを出してつながっています。たいていは兄弟かと思うぐらい外観も似てくるのですが・・。
同じように夢を追いかける人・人の悪口を言って楽しむ人・いつも悩む人・怒りっぽい人・心配性の人など、それらの人には同じような人たちが集まります。
だから僕はいつも楽しいと思うことだけをするようにしています。
そんなことだけをしていては生活することが出来ないと思うかも知れませんが、出来るか出来ないかではなくてやるかやらないかです。
もっと言えば書くか書かないかです。
自分の物語の執筆者は自分であり、全てを自分で決めることができるからです。